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2011年10月29日 (土)

人の為

 我が家は元々は農家だし、学校も農業の学校に行ったので、農業関係のことには少なからず関心はあります。

 私が就職した頃は、日本は米が余っていると言われ、減反政策が行われていた。
 会社の同僚が「日本で米が余っているのなら、貧しい国に送ってやれば良いんだ」と言ってた。それは納得が出来る。実は子供の時から聞いていた言葉だった。特に亡くなった祖母が何度も言っていた。当時は子供だったし、事情もわからないなりに、大人が言うことに「そうだそうだ」と言っていた。

 でも物心がついてある程度考えられるようになった時に気がついたんだけど、確かにそれは理想的なことだと思う。それでどんどん米を消費することで、減反なんかしなくなるし、そうなると農家の収入も増える。
 しかし、もしも米をあげるとしたら肝心の外国に送る輸送費は誰が払うんだろうか? と思った。国家予算、つまり税金で送るのか? それとも農家が金を出し合って送るのか? また裕福な企業がお金を出してくれるんだろうか?
 そう考えると、理想論だけではすまないと思った。

 よく寄付金を集めたり、テレビ番組でも毎年チャリティ番組をやっていたりします。私も参加したことあるけど、世の中には困っている人がたくさんいます。その人を救うと言うことは大切なことだと思います。

 ただ、私が好きな相田みつをさんが「人の為と書いて偽りとよむんだね」という言葉を見たことがある。
 また事業の他に社会奉仕をしている会社から「海の真ん中で船に乗ってお腹を空かせている人に、食べ物をあげるよりも、魚の釣り方を教えた方が良い」と聞いたことがある。その会社はまず飢餓で苦しんでいる人たちに、学問を教えるために学校を応援し、子供たちに栄養のある給食を与えることで、最初は食べることが目的で来るかも知れないが、いろいろ勉強するうちにいろいろなことを覚え、さらには給食で使われている食べ物を自分たちで栽培して、加工する工場も現地で作り、雇用を生み出したことで経済が発展し、国が自立したという事例がある。

 世の中にはどうしても誰かの助けを借りないと、ご飯も食べられない人がいるのは事実だと思うし、今現在困っている人に、何もしないよりは出来ることをしてあげる方が良いと思う。もちろん緊急を要することだってある。
 ただケースバイケースで、人の為とばかり言っていることが、はたして正義なのかと言うと、疑問を感じることがある。10月12日に書いた、盲目の歌手「高田一志」の運転手をしていた時も、私が思っている以上に、師匠はなんでも自分で出来る人だった。私は師匠のためにではなく、師匠からいろいろなことを学び、一緒に分かち合いたくて、手伝わせていただいた気がする。
 子供の時、隣に住んでいた夫婦は二人とも耳が不自由で、学校もろくに出ていなかったようで、ひらがなしか書けず、よくうちに来ては子供だった私に学校で習った漢字を教えてくれと言っていた。「白い花」と教えて、それが書けるようになったとすごく喜んでいた。
 子供相手に大人でも「たかが」それだけのことで、感謝されたり、温かい気持ちになれるんです。そんな時に善意だの、教えてやっただのって言う気持ちなんか持ちませんでした。

 まず相手のニーズを調べて、必要なことで出来る範囲の事はしてあげましょう。でも将来のために教えた方がいいことは、長い目で見て付き合ってあげましょう。と言うのが、私の考えなんです。

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