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2011年12月 4日 (日)

子育てって何歳まで?

 私の叔父さん夫婦は私が子供の頃結婚した。
 昔はよくご飯時になると、叔父さんが一人でフラッとうちに来た。まだ祖父母が健在な時で、親心で「ご飯食べてきたのか?」と聞くと「食べてない」と言い、祖母の「何か食べさせてやってくれ」という一言で、ご飯を食べては帰っていった。
 その頃は親父とお袋の家計になっており、後から聞いた話だが、緊急にご飯を炊くわけにもいかず、お袋は自分の分を食べさせ、自分は後からインスタントラーメンなどを食べたこともあったようだ。お袋は昔の人間で親の言うことに反抗すると言うことができない性格だった。

 なぜ叔父さんがご飯時に来ていたかというのも、後で聞いたが、奥さんと言う人はマイペースな人で、自分の事は自分でと言う性格だったらしく、ご飯支度もしないことが多かったようである。それに対して叔父さんは兄弟の末っ子で、ある程度甘えが出来たし、家族が何でもしてくれて育った環境だったので、その辺でのすれ違いがあったようだ。

 そんな叔母さんが子供が中学生になったのをきっかけに市内のデパートでアルバイトを始めた。中学生にもなると、善悪の区別もつくだろうし、自分も自分の人生を他人のために過ごしたくないと言うことだった。
 アルバイト先は街の中心部にあり、仕事が終わってから会社の人と飲みに行くようになり、帰りも遅くなっていった。叔父さんは子供たちを連れ、うちに来ることも多くなった。最初のうちは祖父母の一声でご飯を食べさせていたが、あまりにも何度も来るので親父が意見した。
 なぜ子供をほったらかして毎晩飲み歩いているんだと言うことと、これだけうちで食事をされたら経済的にもバカにならないし、ここはお前の実家ではあるが、もうお前の家ではない。みんな独立したんだから、自分たちの事は自分たちで何とかしろと言った。

 それからうちにはあまり来なくなった。後で聞いたが、その後息子は不登校気味になり、部屋にこもって叔父さんとの会話もなくなった。やがて高校に入学したが、入学式の一日だけ登校して、あとは部屋にこもって出てこなかった。学校は辞めることになり、息子の知り合いから声がかかり、調理師として働くことになった。その後、いろいろな店を渡り歩き、和洋中なんでも出来る調理師と成長し、結婚もした。 そこで、旭川で自分の店をやりたいと考えて、親に相談したが、自分で出来るのならやってみろと言われ、資金がなくて断念した。また家も建てたいと相談したが、これも勝手にしろと言われただけだった。

 ある日、うちにその息子が来た。奥さんの実家がある名古屋に行くということだった。仕事も向こうで見つけてあり、向こうの実家でも同じ敷地内に家を建ててくれたと言う。
 もう旭川には来ないということで、最後になるかも知れないからと言うことだった。
 そんなわけにはいかないだろうと言うと、親はオレを見捨てたし、親よりも本家(我が家の事ですが)の方がご飯も食べさせてくれたり、居心地が良かったという。親の仲はバラバラで、母親のことを名前にさん付けで呼び、親だとは思っていないという。お父さんは店を出したい時も、家を建てたい時もいくらか出すと言ってくれたが、母親はダメだと言ってたと言う。私も両親もその話を聞いていて、親の年代では違和感があったようだが、私はかわいそうになった。しかし、そこまで決めているのなら、今さら反対してもやめると言う性格でもないだろうし、私がとやかく言う立場でもない。
 その日の夜は私と従兄弟で徹夜して、二人で小さい頃の話から今までどんな思いをしてきたかなど、いろいろ話を聞いた。何度も涙が流れた。家族の仲が良い本家がうらやましかったと言う。母親からは手作りのおにぎりひとつ食べさせてもらったことがないし、お袋の味と言うのも知らないという。

 現在では旭川に年賀状を送ってくる親戚は私の両親と私だけのようで、名古屋で元気に頑張っているようである。
 しかし、叔母さんは別として、叔父さんとは仲が良かった。どこで歯車が狂ったんだろう。うちの両親はこう話ている。家を建てたいと言った時に、親が少し援助すれば良かったんだと。それは甘やかすことではない。そうすれば、親に恩を感じて、老後も面倒を見てくれるのではないか。
 旭川から名古屋と言う距離は遠い。ましてや親の葬式にも来ないと言っている。それは間違っていると言っても、あいつにしては昨日今日で決めたことではない。親が俺を見捨てたんだから、俺も自分の人生を自由に生きていくと言う。なぜそこまで親を嫌いになったんだろう。それは私にはわかってあげられないことだし、口を挟める問題でもない。

 これは私の考えだけど、子育ては一生ものの大仕事で、その結果が出るときは私はもう死んでいて、残った息子が亡くなる時にどのような人に見送られるかという時だと思う。自分が死ぬまで子供に援助し続けると言うことではない。自分の生き様を見せていくことだと思う。子供に対しても誠実に一人の人間として対等の立場で接し、困った時はお互いに助け合う。いつまでも監督指導するのは間違っていると思うが、放任主義すぎるのも良くないと思う。
 うちのお袋がよく話していることだが、息子夫婦と同居していることを兄弟姉妹や知り合いからも、うらやましがられていると言う。うちよりも裕福でお金に困っていないお姉さんですら、旦那さんを亡くした後の一人暮らしは不安だと言う。私も頭では理解しているが、実感できるのはもう少し年を取ってからの世代なんだと思う。
 しかし具合が悪い程度ならまだ良いが、町内会でも一人で住んでいるお年寄りが先月救急車で運ばれた。二日間新聞が取り込まれてなかったのを隣の人が見つけ、そこで玄関で倒れていたおばさんを発見した。先月だったから大丈夫だったが、真冬なら凍死している。元気なうちはわからないことだが、いつ何時どうなるかわからないのだ。

 私も一時期経験したが、核家族は気楽で良いものである。親の目を気にしないで、好きな時間に好きなことが出来る。食事も家で見るテレビも、どんな趣味や音楽も、小言や他の人を気にすることがない。経済的にも裕福だった。
 しかし家族が多いと、正直良いことばかりではない。何度別居しようと思ったかわからない。でも、心配でほっておけないという気持ちがある。また困った時にお互いにお金だけではどうにもならないもので、解決してもらえる。

 自由と困ったことと言う考え方が適切かわからないが、例えば10個の自由があれば、その分10個の困ったことが起きるような気がしている。
 そのための大仕事が子育てだと思っている。小さな失敗は許されるが、大きな失敗は取り返しがつかない。

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