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2012年4月24日 (火)

ふたつの事件

 京都で残念な事故があった。
 報道を見る限り、未成年者で過去にも2年前にバイクの無免許運転で捕まっているらしく、今回は車の無免許で夜通し走り回っていたはての事故だったようだ。現場ではブレーキ跡がなく、居眠りが原因かと言われている。
 亡くなった方は無念だっただろうと思うと心が痛くなった。残された遺族の気持ちも計り知れない。どこに気持ちをぶつければいいのだろうかと思う。

 しかし犯行を起した未成年の親はどういう気持ちなんだろう。車を運転していることは知らなかったと言う。一生かけて償うとは言っていたが、事故だけはいつ自分の身に降り掛かるかわからないし、私も人の親なので、他人事ではないかも知れない。

 数年前の話ではあるが、旭川市内でも未成年者がひき逃げ死亡事故をしたと言う事件があった。しかしその犯人はストーカーをしていて、報道ではひき逃げよりもストーカーの方を大きく取り上げていた。ストーカー相手をはねたわけではない。全く何の罪もない高校生をひき逃げしたのだ。後で聞いた話では懲役5年と言う判決だったようだ。それにしても遺族はどう感じるのだろう。

 実は私の叔父さんも交通事故で亡くなっている。子供が2才頃で、話を聞いても父親の顔は覚えていないと言う。
 その事件は叔父さんの方は少し昇りの緩やかな右カーブで、突然対向車の大型ダンプカーがスピードオーバーでセンターラインを超えて来たと言う。隣には叔父さんの上司が乗っていて、大怪我ではあったが命は助かった。しかし叔父さんは見るも無惨になって即死に近い状態だったと言う。
 叔母さんは相手に誠意が感じられないとして裁判を起こしたが、毎回毎回病気だ、怪我だと言って裁判所には現れず、長い間最後の最後まで頑張ったが結局一度も顔を出さず、そのうちに期限が来てしまい、十分なことをしてもらえなかった。うちは叔父さんの実家で叔母さんを見ていて可哀想になり、祖父や祖母が『もういい加減にしたらどうか・・』と言っても、叔母さんには許せないことや納得できないことがあったのだと思う。

 しかし、このブログで前に書いた江別の事件や今回の京都の事件で共通していることが三つある。
 一つは運転してはいけない状態の人が運転していたことだ。お酒を飲んでいたり、免許を持っていなかったりと言う状況では車を運転してはいけないのだ。
 もう一つは過去にも同じ事件を起こしていることだ。京都のケースはバイクの無免許で、その時は人をはねたわけではないようだが、それにしても無免許と言うことでは同じである。
 三つ目は同乗者がいたことだ。なぜ悪いことだと知っているのに、運転を許し、さらには自分までその車に乗っているのだろうか。
 この二つの事件はどう考えても運転手に同情できる部分がない。さらには同乗者が止めることもせず、一緒に乗っていると言うことに怒りを感じる。運転手と同罪だと思う。

 法律で決められた期間をただ過ごすのではなく、何が悪かったのかを十二分に反省して、心を入れ替えて今後絶対に同じ考えを持たないという人間になるまで、さらには人を慈しむ心を身につけるまで社会に出てはいけないと思う。
 さらには遺族に対して償って行くと言うのも重要な使命だと思う。

 事故はいつ自分が被害者になるかも知れないし、加害者になるかも知れない。自分ではなくても家族の誰かがそうなるかも知れない。こんなことを書いている私が、もしかして明日にもそうなるかも知れない。
 しかし事故は起こさないことが一番ではあるが、万が一の時に世の中の全員からどう見られても情状酌量の余地がないような事件は決して起こさないようにしたい。

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